H21年3月11日より「阿月の神明祭」は重要無形民俗文化財に指定されております.
大火を焚いたり,多数の松明,あるいは大松明に火を灯すなど火を中心にした祭りで,全国各地で多用な方式の火祭が行われている.
・・・・・・・・火の神はカマド神・荒神とも称され,家に死者が出ると竈の灰を更新したり, 修験者や地鎮盲僧,巫女などの民間宗教者による年1回から数回の荒神祓いが行われてきた・・・・・・・・
・・・・・・・・言うまでもなく雨乞いは日照りが続いたときに行われる臨時の行事であるが, 各種の方法が認められ,その一つが小高い丘や山に登って大火を焚く方法であり,「千束焚き」「千把焚き」「雲あぶり」などと呼ばれていた.
・・・・・・・・トント・トンド焼き・左義長・サイト焼き・サイトバライ・サンクロウ・ホッケンギョウ・ ワカビ・オンベ焼き・カザリタキ等々,地方によって多様な呼び方があるとともに,・・・・・・・・
(朝倉書店「祭・芸能・行事大辞典」p1495-1496より抜粋)
山口県柳井市大字阿月の東西2地区で行われる小正月の火祭りである.シンメイと呼ぶ・・・・・・・・オコシタテの後は,過去一年間に結婚した男子を海に放り込む.これは若連からの脱退の儀式ともいわれている.シンメイを火を点け燃やすことをハヤスという.シンメイに取り付けられていた飾りや御幣は皆で取り合って家に持ち帰り・・・・・・・・
(朝倉書店「祭・芸能・行事大辞典」p59-60より抜粋)
滋賀県近江八幡市内の地域で,冬から春にかけて左義長や松明により大火を焚く火祭りの行事をいう.・・・・・・・・農村部の左義長は燃やしたときに爆竹音を出す青竹を用いるが,日牟礼の左義長は丸太の骨組に藁を切り揃えて三角錐状に囲う「台」,正面に「ダシ」と呼ぶ造り物,「十二月」という飾り物からなり,・・・・・・・・
近江八幡の火祭り左義長祭(著者撮影)
(朝倉書店「祭・芸能・行事大辞典」p252より抜粋)
愛知県幡豆郡幡豆町の鳥羽神明社祭で,正式名称は「鳥羽大篝火」・・・・・・・・浜では海に浸かってミソギをし再び神明社へと戻る.午後7時30分からは火祭りの神事が始まる.神男らは拝殿でお祓いを受け,玉串拝礼を行う.古い幟で作った装束を着けたネコと呼ばれる奉仕者は,拝殿脇の祠で塩のお清めを受ける.奉仕者をネコと呼ぶのは,頭巾をかぶった姿と火祭りでの動きが猫を思わせるからだという.・・・・・・・・ゆすり棒はすずみに突き立てて燃焼を促すもので,その際にはゆすり棒を突き刺す者が火に包まれないよう水が撒かれる.半分ほど燃えた時点で二の棒が,7割ほど三の棒が入れられる.・・・・・・・・
(朝倉書店「祭・芸能・行事大辞典」p1252-1253より抜粋)
春先の農耕祈願や盆の精霊送りの意味を込めて大きな柱松に火を点けたり,最上部に御幣を立ててこれを切ったりする行事.修験道儀礼の峯入りに伴う儀礼という説もある.・・・・・・・・
柱松(宮崎県串間市都井)
現在は「都井の火祭り」と呼ばれ,観光行事として8月下旬の土日の夜行われる.十数mの柱の先端にめがけ縄のついた松明を投げる.先端には花火が仕掛けられ,入ると花火が炸裂することになっている.柱松の由来を村人を苦しめていた大蛇を衛徳坊という僧侶の指導のもとに,村人が大蛇の口めがけて松明を投げ退治したという伝承に基づいているが,都井村には飛龍三所権現という瀧山権現と東明寺の神仏習合修験寺があった.柱松行事は飛龍三所権現の東明寺の僧が十五夜の収穫感謝の祭りとして奉納していたもの.(昭和50年頃)(前田博仁撮影)
(朝倉書店「祭・芸能・行事大辞典」p1402より抜粋)
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