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京都市の伏見稲荷大社の主祭神のことで、宇迦之御魂は倉稲魂とも記される.・・・・・・・・
宇迦之御魂は,豊宇気比売神,保食神,大宜都比売神とも別称される.この神は五穀の豊穣や生業を守護する稲荷神で,もとは「稲生り」「稲成り」の意味であったが,・・・・・・・・
(朝倉書店「祭・芸能・行事大辞典」p170-171より抜粋)
おもに京都市の伏見稲荷大社に寄せられる信仰をいう.『山城国風土記』逸文には,白鳥に化した稲荷神は和銅4年(711)2月7日初午に伏見稲荷山三ヶ峰に鎮座した,と伏見稲荷の祭祀由来が記されている.・・・・・・・・
中世から近世にかけて商工業が発達するにつれ,稲荷神の神観念が穀霊神から生業守護神・医薬の神・福神などへ変貌し,稲荷神の分霊が様々な祈願目的によって全国各地へ勧請されていった.17世紀中期に愛染寺(伏見稲荷本願所)の初代住持で」あった天阿小人は,茶吉尼天・弁財天・聖天(歓喜天)を三天和合尊と称し,仏教的稲荷信仰を民衆に教化した.・・・・・・・・
伏見稲荷大社のおもな宗教行事としては,1月5日の大山祭,1月12日の奉射祭,2月の初午,11月8日の火焚き祭などがある.・・・・・・・・
伏見稲荷大社の本宮祭の万灯の神事(著者撮影)
伏見稲荷大社の奉射祭(著者撮影)
(朝倉書店「祭・芸能・行事大辞典」p141-143より抜粋)
現行の稲荷祭は「おいで」と「おかえり」と俗称される神幸祭(4月20日に最も近い日曜日)と還幸祭(5月3日)からなっているが,普通,稲荷祭とは還幸祭を指す.・・・・・・・・
室町時代中期には,稲荷祭にも祗園祭と同様に山鉾が登場した様子が,『師郷記』や『東寺執行日記』『康富記』などに記録されている.天明7年(1787)刊の『拾遺都名所図会』に,「稲荷御迎挑燈」の挿絵が掲載されており,「天狗榊」講中の山車を中心に5基の風流山車が巡行してる有様と,1本の風流傘が描写されている.・・・・・・・・
(朝倉書店「祭・芸能・行事大辞典」p143より抜粋)
霜月に行われる京都独自の火の行事や,11月8日に各地の稲荷社などで火を焚いて鍛冶・鋳物職守護を祈願する鞴祭りのことをいう.・・・・・・・・
・・・京都市の伏見稲荷大社でも11月8日に火焚祭・鞴祭が行われる.本殿前で神官は新藁で作った竪穴住居状のものに点火し,その後火焚神事となる.火床は蒔を井桁に組み,檜の小枝で覆ったもので,これに鑽火を点け火焚串を投
じる.・・・・・・・・
(朝倉書店「祭・芸能・行事大辞典」p338より抜粋)
稲作農耕の生業神として,稲の発育を見守り,豊かな収穫をもたらすとされる神で・・・・・・・・
普遍的には田の神と呼ばれるが,東北では農神,山梨・長野では作神,中国・四国一帯ではサンバイサマとかソートクサマなどと称し,このほか地方によっては地神や荒神・宇賀神・亥の子神・エビス・稲荷・大黒・お丑様・社日様・山の神・案山子神・納戸神などの様々な民俗神との習合がみられる.・・・・・・・・
・・・・・・・・福井の越前地方のアイノコトは,山と里の去来伝承を説き,アエノコトの先行形態として注目される.九州西部の丑の日様には,刈り残しておいた3把の稲束を田の神として屋内で祀る.・・・・・・・・
(朝倉書店「祭・芸能・行事大辞典」p1096-1097より抜粋)
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